SSブログ
フェルナンド・ソルの研究 ブログトップ

(祝!)今週も1位だ&ソルのエチュードOP35-9をAルート純正律ギターで弾いてみた [フェルナンド・ソルの研究]

前回記事で取り上げたインディーズ系の投稿サイトYOUMUSICですが、ここの週間ランキングは(今のところ、)毎週日曜日の始まり(つまり午前零時)で更新されるんですよね。

で、今週の結果は?(↓クリックで拡大可能)

2014-0928(Sun)週間第1位youmusic.png

 な、何と、また私が週間「1位」になってしまいました(驚)。。これはもぅ、「上の人達」がどんなに誤魔化そうとしても誤魔化(別名「黙殺」)しきれない状況ですよね、、、「如何に古典調律が音楽にとって重要であるか!」、「如何に多くの人が古典調律に関心を持っているか」、「今まで如何に当に古典調律が無視ないし「抑圧」されてきたか」等のことを(しみじみ)。
 あ、それと、聴いていただいたリスナーの方、ありがとうございます。。 この調子で、各種の抑圧隠蔽された有用情報の「ディスクロージャー」と地球アセンションを目指しましょう(笑)。 
 

 しかるに小生、このサイトでの「不動の1位」を目指すべく(爆)、今度は「純正律」ギターでの投稿upを企てようかなと思っているのですが、ナカナカ思うよう時間が取れません(泣)。

 それと、曲の難易度にもよりますが、段差のある「純正律フレット」のギターでクラシック曲を弾こうとする場合、慣れるまでは相当練習しないとイカンなぁと実感している今日この頃です。

 一例として、上記サイトへの投稿が今回見送られた例として、ソルのエチュード作品35-9(アルペジオ+低音旋律)の演奏音源をここにupしておきます(汗)。 

出だしはこんな感じです。低音部が「下降メロディー」満載です。
sor_op35-9_A.jpg

で、これがイ調(Aルート)純正律のギターで弾いた音源なのですが、

メチャクチャ良い曲&純正律にマッチした曲だと言うことが分かると思うのですが(ですよね?w)、演奏の方をもぅ少し完成度を上げたいところですよね。。。でも結構ムズイ(集中力が要る)んですよ。

そんなわけで、頑張ろう私、地球がアセンション(次元上昇)するその日まで! 


nice!(33)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

ソルのワルツop51-2(c-dur)を純正律ギターで弾いてみた [フェルナンド・ソルの研究]

 今日の夕方に、私が住んでいる地域ではこの冬初めての雪が降ったのですが、直ぐに降り止んでしまいました。

 それと、最近の投稿記事の閲覧数をチェックすると、このブログの本業(?)である音楽の記事よりもいわゆる陰謀暴露系の記事の方が閲覧数が多い傾向にあり、今の混沌とした社会状況が窺えるとともに、この世界がいよいよ末期的に病んで来ているなぁ、などと複雑な気分に浸っている今時分です。

 そんなこんなで、閉鎖的で世知辛い今の世の中ですが、それに負けないように今日も純正律音源をupしたいと思います。

 今日はギター編で、前に書いたように、ソルの後期作品で、ワルツ・ハ長調(作品51の第2番)です。
  出だしです。
IMG_sorのワルツop51-1.jpg

 久しぶりに純正律的な解説をしますと、この曲、Ⅱすなわち「Dm」の和音が結構出てくるのですが(少なくとも10箇所はあるかと)、バスがD(レ)になる場合(第3,第11小節)は、メロディーが「ソーファミファレ」でA音(ラ)の使用が避けられ、他の箇所も、下から「ラレ」の4度跳躍音形はありますが、下からレラの5度跳躍音形は徹底的に避けられて作られています(じ~~っくり探せば1箇所くらいは有るのかも知れませんが、ちょっと発見できなかったです。)。

 ですので、この曲も明らかに純正律(で演奏されること)を強く意識して作曲されたであろう、というのが当方の持説です。

 
  では、純正律ギターによる演奏音源です。

 いかがでしたでしょうか? こういう曲を12ETの楽器で弾いていたら、分かるものも分からなくなってしまう(「音楽」作品が「音が苦」作品になってしまう)と思うんですよ。 私、何か間違ったこと書いてますでしょうかね?   
 

 私の書いていることが「それはオカシイ!」と感じるのであれば、コメント欄でどんどん書いてくださって結構です。

 逆に、私の書いていることが「もっともだ、正しい!」と感じるのであれば、クラシックギターの関係者は、どうか純正律を始めとした古典調律での演奏を「実践」してください。「実践できるような環境」を作ってください。そうでなければ、ソルを始め、歴史に名を残した偉大なクラシックギター作曲家とその作品が浮かばれないじゃないですか。違いますか?

 最後にもう一度書きます。 私、何か間違ったことを書いていますか?

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

(音源あり)ソルのOp.6-5ハ長調を純正律ギターで弾いてみた感想など [フェルナンド・ソルの研究]

 ソルのギター曲は、対位法を全面に押し出した曲は幾つかあるのですが(その最たるものがOp.29-17 C-dur 所謂「セゴビア20番エチュード」でしょうか)、一方で、「フーガ」形式の曲が見当たらないんですよね。

 ソルの作曲活動の範囲は、ギター曲のみならず、「オベラ・バレエ・劇場音楽・カンタータ・ミサ・オラトリオ・ピアノ・室内楽・交響曲」にまでわたっていたので(現ギ社ソルギター曲集の解説より)、ソルがフーガ形式を「知らなかった」とは考えられないですよね。

 だとすると、ソルは、ギター作品で
その1:「1つの主題を何度も繰り返し使う」ことに魅力を感じなかった
 のか、あるいは
その2:ギターでフーガを弾かせるには楽器の性能に限界があると感じた
 のか、さらには、
その3:フーガだと演奏が困難になり愛好家が付いて来れないと思った
 のか、色々推理出来るところではありますが、今日の本題と余り関係がないので、まぁこれくらいにしておきましょう。

 で、今日は、インフルエンザによるドクターストップ(=発熱終了後48時間は自宅待機)期間を利用してw、ソルのエチュードOp.6-5ハ長調を純正律ギターで練習してみました。

 出だしがこんな感じで、
Sor_op6-5_C-dur.jpg

 同一リズムのアルペジオが延々繰り返されます(全部で48小節)。

 で、この音形を見た多くの方はこう思ったのではないでしょうか。
「あれっ、これってバッハの有名な前奏曲(後のアヴェマリア伴奏曲となるWTC第1巻第1番前奏曲)に何となく似てるような・・?」

  そうなんですよ。この曲は、まるでバッハの前奏曲を意識したかのような書法の曲だなぁと感じてます。で、ソルはバッハをどの程度知っていたのだろうか? というのも凄く興味のあるところな訳ですね。

 
 これに関しても、ソルはバッハを「全く知らなかった」というのはチョット考えられないところであり、かといって、逆に「バッハに深く傾倒していた」というのも「?」が付くので(そうであれば少なくとも晩年作品がもっと「フーガ的」になっているはず)、現段階としては、
 ソルは「バッハを多少は知っていたが、深く研究することはなかった」のではないか、と推測しています。

 ただ、ソルは、この曲以外にも「同一リズムの主題を延々繰り返す」エチュードを凄く沢山作っているのですが、この「同一リズムの主題を延々繰り返す」曲って、これこそ正にバッハの得意技(いわば王道技?)でもあるんですよね・・。実際どうなんでしょうねぇ。

 で、本題に復帰しまして、この曲に関して「純正律」との関係で要点(私見)を書き出すと、

私見1:12ETは勿論、不均等(うねうねフレット)音律でも、この曲を最後まで弾き切るのは容易ではない、つまりこの曲は、純正度の低い音律で演奏すると、「機械的な感じ」だけが浮き彫りになって、とても最後まで弾く「モチベーション」が沸かない。(※酷い(?)言い方すると、12ETの楽器でこの曲を弾くなんて、それこそ「拷問」に等しい、と思う。)

私見2:これに対して、純正律で演奏すると、最後まで弾くモチベーションが(それこそ泉のように)沸いて来ることは勿論である(今さら言うまでも無いが書くw)し、そもそも見える世界」が全く変わって来る
  一例を挙げると、この曲は、バッハの前奏曲と違って、2番目の音の音価をどうするか(どこまで伸ばすか? ノンレガードやスタッカートで統一させるか? 場面に応じて変えるか? 消音させる箇所はどこか? などなど) が、非っっっ常に大きな課題となる(ある意味、ここが最も「音楽性が問われている」部分ではないか)と感じるが、
 このようなことは、純正律で演奏してみて初めて分かる(気付く)ことではないか、

 と考えられます。

 という訳で、最後に純正律ギターによる演奏音源です。 Take2くらいなので未だ未だ全然弾けてませんし、2番目の音の処理も明確なプランが立てていない段階の演奏ですが、この曲を練習したことのある方ならば、普通のギターとの響きの美しさの違いは一聴瞭然ではないかと。


ではまた。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

ソルの「純正律攻略」に関する研究その2:作品31のD-durとC-dur曲 [フェルナンド・ソルの研究]

 いやぁ、本当、(渡辺三冠&NHK杯を負かした)今日の広瀬七段の将棋(特に終盤の大駒を切ってからの手順)は惚れ惚れするほど見事だった!、、、って、ここじゃないや、、叫ぶ場所を間違えてますわね(爆)。

 何でこんな前置き書いたかというと、(実際今日のNHKの将棋放送で思わず感動してしまったからなのですが(笑))、今日練習&録音したソルの「ニ長調」曲も、それに匹敵するくらい見事な書法で作られているとしみじみ感じたからな訳ですよ。

 それと、現在の(コンピュータ将棋の隆盛に脅かされつつも)非常に盛り上がっている将棋界と、現在の(12ETの「不健康さ」があたかも正確に投影されている?かのように、腱鞘炎や高級楽器が売れない不況等にあえいでいる)クラシックギター界とを対比してみたかった意味もあります(ぶっちゃけ、「もう少し頑張ってくださいよクラシックギター界&盛り上がれない理由なんてただ一つ、「フレットの位置が悪いから」に決まってるでしょ!?とエール付きプレッシャーをかけているんですけどねw)。

 そんな訳で、今日も逝ってもとい、行ってみましょう、、、題して、
ノーマル純正律ギター(DA破綻タイプ)で弾けてしまうフェルナンド・ソルの「ニ長調(D-dur)」曲のコーナー、その2!! (やんややんや)。

 今回も弾き易そうな曲を選んでみたところ、この曲になりました。作品31の練習曲集の内の第3番です。


 少し詳し目に書くと、ソルの練習曲(ギターエチュード)集は、
 作品6(全12曲、1815~17年頃、ソル37~39歳)
 作品29(全12曲、1827年、ソル49歳)
 作品31(全24曲、1828年、ソル50歳)
 作品35(全24曲、1828年、ソル50歳)
 作品60(全25曲、1836~37年頃、ソル58~59歳)
の5つが知られていて、初期の作品6及び29は長大で難しい曲が多いのですが、当時の音楽社会(愛好家)の要請は「もっとやさしい曲を!」だったようで、それに応えて(言い換えると「それに妥協してor負けて」?)、後期の作品になるほど曲構成が平易かつ短くなって行きます(最後の作品60は「初心者の指導用」的な位置づけになっています)。

 こういった当時のギター音楽界の状況については、ソルの残した注記や文章を読むと(当時の周囲の意識の低さに対するソルの「嘆き」、「イライラ」的な感情も伝わって来て)、色々と興味深いものがあります。

 そんな訳で、今回練習した「作品31」のエチュードは、難易度や1曲あたりの規模などの点では「中庸(ほどほど)」であると思われるのですが、私的にはソルのエチュード集の中ではこの作品31が最も親しみ易くて好きですね。何と言うか、「流麗さ」を感じるというか、弾いていて凄く幸せになれるし、敢えて自己?分析すると、ソルの他のエチュード集に比べて「より自然な感じ」、「よりエチュードっぽくない感じ」がすること、つまり、音形やメロディーの流れなどの点で何か「メカニック臭さ」が最も希薄な感じがするんですよ、そこが凄く好きな要因なのかなと思ったりもします。

 一方で、今回、純正律ギターを使って弾いてみると、消音や強弱法などで以前は全く意識していなかった「技術的な課題」が用意されている(幾つもの「仕掛け(トラップ)」が仕込まれている)ことに気付くことになり、このところ「驚き&新たな発見と感動の連続」という感じです。いやぁ「芸術音楽」ってこんなにも深淵なんですねぇ、、ようやっと「その第一歩」を踏み出せたのではないかと、そんな感じさえする今日この頃です。

 で、前置きが長くなりましたが、いよいよ音源UPっって、アレですか、例によって「お父さん遊ぼうよ」ですか(汗)、、、分かった、15分待ってくれ三男よ(←本当、これリアルタイム実話ですのでw)

 というわけで15分で書ける所まで書きます(爆)

 とりあえず音源UPですね。


  ↑
今回の調弦です。(現在のフレッティングですと、3弦2フレットのA音は、他の(高低)A音よりも数セント高くなるように設定してます。ただ、「オクターブ関係に違和感を感じない」程度の修正(←というか誤魔化しw)ですので、それをも確認していただければと)

で、今日のソルの「ニ長調曲」は、作品31の第3番です。



で、解説すると、、、ってもう15分経った?(汗)、、、分かった、直ぐ行く、、、というわけで続きは後ほど(笑)

-----(中断&帰宅ならぬ帰PC前w)-------
続けます(いやぁ三男に回り将棋で負け、次男には挟み将棋で初めて負けてしまいました、、とほほ)。

まずはこの曲の出だしです。
D-dur_sor_op31-3出だし.jpg
 この曲は曲集中の第「3番」ということもあって技術的には比較的容易なのですが、D音とA音が「一見普通に」使われているため、これを通常の(DA破綻タイプの)純正律で演奏しようとすると、響きの悪い箇所が幾つも現れることになります。

 例えば楽譜2段目の出だしですが、低音が「4弦開放D」⇒「5弦開放A」と進行し、メロディーの2拍目頭は「A音」のため、2拍目で低音Dの響きが残っていると「下から(A)DA」の響きが出来てしまうんですね。

 で、楽譜1段目の出だしと比較すると分かるように、ここは最初の出だし部分のいわば「変奏」なんですね。そして、出だし部分のメロディーの2拍目頭は「G音」のため、ここは2拍目で低音Dの響きが残っていても「下からAD(G)」の響きなので、それほど酷く感じないんですよ。 言い換えると、ソルは、この2段目の変奏部分で、技術的課題である「4弦開放音の消音」を、『どんなに鈍い人wでも気付くように、』わざとA音を加えたと考えられるんですよ。

 こんな感じで、この曲は、「DとAの音の干渉(悪い響き)」を発生させないための「消音」や「ノンレガート化」などが大きな課題になっていると思われます。他にも例えば、楽譜2段目右端の低音進行を見ると、「下からDA」になっていますよね。クローズアップするとここです。
0p31-3転調部分.jpg
つまり、DA破綻形音律で弾く場合、この低音D音は、「直ぐ消音」しなければならないんですよ(上記音源演奏ではプレッシャーのためここをトチってます(爆))。 「曲の『ルート音』を速攻で消音」なんて、今までの常識?では到底考えられなかったのですが、純正律の世界ではこういった事象(イベント)が当然のように起きる訳です。

(ひそひそw・・・そしてそれを「これは面白い! 攻略しがいがある」と喜んで取り組む人と、「へっ、そんな面倒なことは今更やりたくないね!」と放棄してしまう人との間では、その後の音楽人生(さらには人生そのもの)において「天と地ほどの差」がついてしまうことは、改めて書くまでもありませんよね(←って、色&強調まで付けて書いてますけど(爆)))

 ちなみにこのD和音のところから、前回のニ長調曲と同様に、Eの(第1転回)和音を使ってA調への臨時転調が行われるのですが、このD(Ⅰ)和音からE(Ⅱ)和音の変化は、違和感がなく「実に自然な感じ」がして驚かされます。和声分析してみて初めて「あ、ここはⅠ⇒Ⅱになっているのか!」と分かった次第です。

そして曲の終盤では、このように、
OP31-3後半部分.jpg
Aの低音を活躍させて、この低音Aが鳴っている間はメロディーに「D」を登場させない所なんか、正に『確信犯』以外の何者でも無いですよね。 最後は『定石』通り、「Aを使わない」D和音で終結させる訳です。

 いやぁ本当、驚きですよね、、、では次に、って今度は夕飯ですか、、、少し中断します。

 続けます。

 上記音源の演奏を楽譜と照らし合わせて聴いてみると、消音等の課題がこなせていない箇所が少なからずあるかと思います、、、、まぁ当方、本業を別に持つ単なる「一勤労愛好家」wに過ぎませんので、その辺については多くを期待しないでいただけると幸いです(汗)、、、というか、「何だこれなら俺(私)の方が上手く弾けるぞ(わよ)」と奮起していただければと思う次第であります。

 ともあれ、ノーマル純正律(DA破綻型)でも(「課題」さえこなせば)問題無く弾けてしまう「ニ長調曲」を沢山作ったソルは、それだけでも実に偉大な作曲家な訳でして、真面目な話、人類音楽史上「ノーマル純正律で弾けるニ長調曲」を最も沢山作った作曲家はソルである可能性だってある訳で(実際その可能性が高いのでは?)、それが正当に評価されていない現代音楽社会は何と言うか、「体たらく&情けない」の極みですよね本当。 

 では最後に、やはりノーマル純正律で弾くニ長調曲演奏は「一勤労愛好家w」にとってはハードルが高いので、 この曲集の第1番であるハ長調練習曲の純正律音源をUPして、今回の投稿を終えたいと思います。

 いやぁ本当、純正律の響きって最高ですよね(しみじみ)。

 それでは皆様、良い芸術の秋を!! 


nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

ソルは「純正律をどう使いこなしたか?」の研究その1:序説とOp.44よりD-dur&C-dur曲 [フェルナンド・ソルの研究]

リアルタイム更新で行きます。

  昨日まで「6弦半音上げ実験記」を書いてまして、まだまだ続きを書きたいのですが、如何せんこの「音律研究」というのは、今まで余っっっっりになおざりに(or何者かによって隠蔽?w)されて来たため、私達「下の人間w」にとっての研究課題が膨っっっっ大(←ほぼ無限?(笑))にありまして、もぅニッチもサッチもいかない状態な訳です。

 そんな背景がありますので、旧ブログのときもそうでしたが、一つの研究課題について調べ切る&書き切る前に、新たな面白そうな研究課題を見つけてしまうと、新しい触手?が次から次へと伸びてしまう訳です。

 で、何を言いたいのかというとですね、、、前に佐藤氏の曲で「イ長調曲なのにⅣのD和音を全く使わない曲」の紹介記事を投稿したのですが、、ってこの記事ですね。
http://justintonation.blog.so-net.ne.jp/2013-09-29
  この「イ長調曲なのにⅣのD和音を使わない」という作曲手法は、実はソルの得意戦法(笑)なんですよ。
 例えば有名なこのイ長調メヌエットも、
A-dur_minueto_op11-6.jpg
和声(コードネーム)を書き込んだように、ⅣすなわちD(またはDm)が全然出てこないのが確認できますよね。

 ただ、最後まで諦めずに(別名:執念深くw)チェックしていると、このように、
a-durメヌエットの最後.jpg

 終わる直前に「1拍分だけ」D和音を使っているんですよ(※ちなみにその次はA音を使わないBmの第1転回形なので、D和音ではないです。)、、、これってソルの「私はⅣの基本和声を忘れた訳ではありませんよ、、ちゃんとDも使ったでしょ?」とのメッセージ(断り書き?)が読み取れるようでもあり、実に興味深いものがあるわけです。

(※ひそひそ・・このBm和音、昔は「D6(デーシックス)」だと思ってました、、、純正律を勉強し始めてから己の認識が一変した訳です。純正律の世界では「A音」を使うか使わないかで「天と地」ほど意味が違って来ますからね。)

 で、ソルのイ長調ギター曲を調べていく内に、(DA破綻の)ノーマル純正律に対応するために、これ以外にも色々と工夫して(すなわち「技巧を尽くして」)曲を作っていることが次第に明らかになって来たのですが、そうなると次に知りたくなるのが「あれっっイ長調でこんな感じだったら、Dの和音を「Ⅴ」で使うト長調曲ってどう作曲されるのだろう?」、「いやいや、そもそも『ニ長調曲』ってどうなのよ???」と、およそ人としての知的欲望wが泉のように溢れてくる訳ですよ、、、で、駄目モトとばかりに、ソルの全集の楽譜を再度引っ張り出して、ノーマル純正律ギター(←DA破綻タイプ)で「⑥弦Eのニ長調曲」を試しに弾いてみる訳ですね、、、、普通「絶対途中で破綻する」って思いますよね、、、そうしたら貴方、思わず驚愕するんですよ、、「おいおい、嘘だろう!!?? 何これ??  問題なく弾けるよっっ、これ弾けるじゃん!!!! えええぇっっ、だって「ニ」長調だよ? このギターのDA5度は「破綻」しているんだよ、、何で曲の途中で響きが破綻しないんだ???? オカシイよ、絶対これオカシイよ!(爆)」、、、、開いた口が塞がらないとは正にこの事な訳です。
 で、ソルの場合、「余りに多いんですよ、ノーマル純正律ギター(DA破綻タイプ)で弾けてしまうニ長調曲が。
 なので、これはもぅ「緊急スクープ!?w」として記事にするしかないな、と思い、急遽こうして記事にしている次第な訳です。

 よくよく考えてみると、鍵盤楽器でもそういう曲が幾つか見つかっているし、さらにはこのヴィラ=ロボスの有名なニ長調前奏曲だって、
ロボスの前奏曲d-dur.jpg

このように、最初のD和音で何故か「A音」は使っていませんよね、、こういうのって決して「偶然」なんかじゃないんですよね。歴史に名を残すレベルの作曲家なら皆、「純正律を基礎」にして作曲しているし、さらには「他の楽器で演奏される」ことをも念頭に置いて作曲している訳ですよ。(あ、ちなみに昨日の夜と今日の朝は、ソルのみならず、ヴィラ=ロボスの曲も、ノーマル純正律ギターで片っ端から弾いてました、、、いやぁもぅとにかく最高ですよ、ヴィラ=ロボスの純正律演奏!、、、この豊潤な響きなら「幽体離脱」も夢ではないかも?(爆))

 そんなこんなで、序論が長くなってしまいましたが、このブログの特徴は音源UPの豊潤さ(笑)にあるので、本題にいきましょう。 

では、先ほど録音した音源をUPということで。

今回弾いた曲は、「DAの5度が破綻」しているノーマル純正律ギターでも弾けてしまうソルの「ニ長調曲」の(ほんの)一例でして、ソルの作品の中でも、(この12ET全盛の)現代音楽社会では「全く日の目を見ることがない(汗)」、作品44の内の第14番です。


↑ズルしていない(笑)ことを示すため、最初の10数秒は、開放弦とニ長調和音を鳴らしています。(DAの響きが悪いことを確認してください。)

op44-14_D-dur.jpg

 楽譜を見て分かるように、この「ニ長調」曲では、序盤早々からⅡの和音つまり「E」を使ってイ長調に一時転調していることが分かります。その次に出てくるⅠすなわち「D」和声部分では、Aの持続低音(オルゲルプンクト)を使って「下からAD4度」の響きになるように工夫されています。ソルのニ長調曲では、このようにDの低音使用を避けて代わりに低音Aを全面的に活躍させる、というパターンは非常に多いです(但し6弦Dドロップ調弦の曲は別。)。

 
 ただ、やはりDAの和音の響きが破綻している純正律でニ長調曲を弾く場合は、作曲面のみならず、演奏面でも「消音」問題等、色々と課題が生じますので、演奏が緊張しがちになる傾向があるように感じます。

 そこで、比較のために、同じ作品44の最初の3曲(いずれもハ長調曲)のノーマル純正律音源を聴いてみましょう。


 いかがでしたでしょうか。弾く側としては、ハ長調曲の方が(消音等の制約が少ないため)のびのび弾けるように感じます。但し、ソルのエチュード等の「同じ調の一連曲」は、曲が進むにつれて、適切なケアをしないと「悪い響き」が目立っていくような「仕掛け」が施されている場合が多いです(上記音源でもそれが分かるかと)。

 では、今回はこんなところで。皆様、良い芸術の秋を!!

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽
フェルナンド・ソルの研究 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。