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(音源あり)ソルのOp.6-5ハ長調を純正律ギターで弾いてみた感想など [フェルナンド・ソルの研究]

 ソルのギター曲は、対位法を全面に押し出した曲は幾つかあるのですが(その最たるものがOp.29-17 C-dur 所謂「セゴビア20番エチュード」でしょうか)、一方で、「フーガ」形式の曲が見当たらないんですよね。

 ソルの作曲活動の範囲は、ギター曲のみならず、「オベラ・バレエ・劇場音楽・カンタータ・ミサ・オラトリオ・ピアノ・室内楽・交響曲」にまでわたっていたので(現ギ社ソルギター曲集の解説より)、ソルがフーガ形式を「知らなかった」とは考えられないですよね。

 だとすると、ソルは、ギター作品で
その1:「1つの主題を何度も繰り返し使う」ことに魅力を感じなかった
 のか、あるいは
その2:ギターでフーガを弾かせるには楽器の性能に限界があると感じた
 のか、さらには、
その3:フーガだと演奏が困難になり愛好家が付いて来れないと思った
 のか、色々推理出来るところではありますが、今日の本題と余り関係がないので、まぁこれくらいにしておきましょう。

 で、今日は、インフルエンザによるドクターストップ(=発熱終了後48時間は自宅待機)期間を利用してw、ソルのエチュードOp.6-5ハ長調を純正律ギターで練習してみました。

 出だしがこんな感じで、
Sor_op6-5_C-dur.jpg

 同一リズムのアルペジオが延々繰り返されます(全部で48小節)。

 で、この音形を見た多くの方はこう思ったのではないでしょうか。
「あれっ、これってバッハの有名な前奏曲(後のアヴェマリア伴奏曲となるWTC第1巻第1番前奏曲)に何となく似てるような・・?」

  そうなんですよ。この曲は、まるでバッハの前奏曲を意識したかのような書法の曲だなぁと感じてます。で、ソルはバッハをどの程度知っていたのだろうか? というのも凄く興味のあるところな訳ですね。

 
 これに関しても、ソルはバッハを「全く知らなかった」というのはチョット考えられないところであり、かといって、逆に「バッハに深く傾倒していた」というのも「?」が付くので(そうであれば少なくとも晩年作品がもっと「フーガ的」になっているはず)、現段階としては、
 ソルは「バッハを多少は知っていたが、深く研究することはなかった」のではないか、と推測しています。

 ただ、ソルは、この曲以外にも「同一リズムの主題を延々繰り返す」エチュードを凄く沢山作っているのですが、この「同一リズムの主題を延々繰り返す」曲って、これこそ正にバッハの得意技(いわば王道技?)でもあるんですよね・・。実際どうなんでしょうねぇ。

 で、本題に復帰しまして、この曲に関して「純正律」との関係で要点(私見)を書き出すと、

私見1:12ETは勿論、不均等(うねうねフレット)音律でも、この曲を最後まで弾き切るのは容易ではない、つまりこの曲は、純正度の低い音律で演奏すると、「機械的な感じ」だけが浮き彫りになって、とても最後まで弾く「モチベーション」が沸かない。(※酷い(?)言い方すると、12ETの楽器でこの曲を弾くなんて、それこそ「拷問」に等しい、と思う。)

私見2:これに対して、純正律で演奏すると、最後まで弾くモチベーションが(それこそ泉のように)沸いて来ることは勿論である(今さら言うまでも無いが書くw)し、そもそも見える世界」が全く変わって来る
  一例を挙げると、この曲は、バッハの前奏曲と違って、2番目の音の音価をどうするか(どこまで伸ばすか? ノンレガードやスタッカートで統一させるか? 場面に応じて変えるか? 消音させる箇所はどこか? などなど) が、非っっっ常に大きな課題となる(ある意味、ここが最も「音楽性が問われている」部分ではないか)と感じるが、
 このようなことは、純正律で演奏してみて初めて分かる(気付く)ことではないか、

 と考えられます。

 という訳で、最後に純正律ギターによる演奏音源です。 Take2くらいなので未だ未だ全然弾けてませんし、2番目の音の処理も明確なプランが立てていない段階の演奏ですが、この曲を練習したことのある方ならば、普通のギターとの響きの美しさの違いは一聴瞭然ではないかと。


ではまた。


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